ルート8 · 道すがら出会う物語

ジョバーグ → パノラマルート → インド洋のビーチ → ドラケンスバーグ → ジョバーグ(往復)

この旅で出会う25の物語です。GPS音声で案内される歴史・文化・自然の解説を、ここでは文章でひと足先にお楽しみいただけます。

1

ヨハネスブルグ

草原が都市になるまでにかかった時間、わずか数年

この都市は、1886年まではただの荒涼とした草原でした。ところがウィットウォーターズランドの尾根で世界最大規模の金鉱脈が見つかると、世界中から採掘者が押し寄せました。ふつう一つの都市ができるには何百年もかかりますが、ここは金ひとつのために、わずか数年でテント村から立派な都市へと姿を変えたんです。

金がつくったもう一つの山 — 鉱山のぼた山

いま街の郊外に見えるあの黄色い丘、自然にできたものではありません。100年以上にわたって金鉱から掘り出した鉱石のかす、つまり廃石を積み上げてできた人工の丘なんです。この街が金で成り立った痕跡が、今も目に見える地形として残っているわけです。さあ、この黄金の街を離れて、パノラマルートへ向かいましょうか?

2

グラスコップ

金が尽きると木を植えた町

いま通っているこの町を囲む森、実は自然林ではありません。1880年代のゴールドラッシュで生まれたグラスコップは、金がすぐに尽きると、まったく別の道を選びました。町の人々がまわりの山に松やユーカリを大規模に植えて、木材産業を興したんです。そのおかげで、鉱山町のほとんどが消えていったのとは違い、この町は今まで生き残ってきました。

切り立った断崖が再び人を呼び寄せた

木材産業で一世紀を持ちこたえたグラスコップは、20世紀後半にもう一度生まれ変わりました。町を囲むこの険しい峡谷の地形が、今度はジップラインや高所リフトといったアドベンチャーツーリズムの舞台になったんです。鉱山でも製材所でもなく、断崖そのものが町の新しい資源になったわけです。

3

ゴッズ・ウィンドウ

神が見下ろす窓と呼ばれた果てしない眺め

この展望台の名前は「神の窓」、ゴッズ・ウィンドウです。ドラケンスバーグの断崖の上から、ローフェルトの低地が霧の向こうに果てしなく広がる眺めから、この名前がつきました。天気が良ければ、あの下の低地の向こう、遠くクルーガー国立公園の境界まで見渡せるそうです。

訪れるたびに違う顔を見せる窓

この窓は同じ場所なのに、訪れるたびに違う景色を見せてくれます。断崖の下から上がってくる霧や雲が刻々と視界をさえぎったり開いたりするので、訪れる時間や天気によってまったく違う印象の眺めになるんです。だから地元のガイドたちは朝早い時間の訪問をすすめます。午後になるほど、霧が断崖を包み込むことが多いからです。

4

バークス・ラック・ポットホールズ

金をほとんど見つけられなかった人の名がついた名所

この地形の名前には「バークの幸運」という意味が込められていますが、実はバークという人はここで金をほとんど見つけられませんでした。19世紀の採掘者トム・バークの名前から取ったもので、当時の仲間たちが運がないとからかうようにこの地名をつけたという話が伝わっています。いま見えるこの円筒形のくぼみは、実は金とは関係ありません。何千年もの間、川の水の渦による浸食が花崗岩を削ってできた、自然の地形なんです。

5

ピルグリムズ・レスト

町全体が博物館になったゴールドラッシュの町

いま通っているこの町は、町全体が博物館です。1873年に金が見つかってできたピルグリムズ・レストは、最盛期には何千人もが押し寄せたゴールドラッシュの町でした。ところが金が尽きた後も建物が取り壊されずにそのまま残り、今では町全体が国の遺産に指定されて、1870年代の姿をそのまま保存しています。

6

ブライデ・リバー・キャニオン

「悲しみの川」と「喜びの川」 — 死んだと思われた仲間たち

いまこの峡谷を流れる二つの川の名前は「悲しみ」と「喜び」です。19世紀、ボーア人のトレッカーの一団がこのあたりを通ったとき、偵察に出た仲間の一部が長い間戻ってきませんでした。残った人々は彼らが死んだと思い、近くの川を「トルール」、つまり悲しみと名づけました。ところがしばらくして偵察隊が生きて戻ってきて、合流した地点の川は「ブライデ」、喜びと呼ばれるようになったんです。今もこの峡谷を横切る二つの川の名前に、そのときの悲喜がそのまま残っているんですね。

7

スリー・ロンダベルズ

わら葺き小屋に似た三つの巨大な岩峰

あの三つの峰は、アフリカの伝統的なわら葺き小屋「ロンダベル」に似ていることから、スリー・ロンダベルズと呼ばれています。およそ2億年にわたる川の浸食が削り出した地形ですが、人がわざわざ作ったかのように精巧に見えますよね。世界で3番目に大きな峡谷であるブライデ・リバー・キャニオンの中でも、最も象徴的な風景に数えられています。

8

クルーガー国立公園

狩猟を止めようとした大統領の名を冠した公園

この公園の名前は、トランスヴァール共和国のポール・クルーガー大統領から取ったものです。1898年、彼が無秩序な狩猟で激減していた野生動物を守るため「サビ動物保護区」に指定したのが始まりでした。1926年に国立公園へ正式に昇格したとき、彼をたたえて「クルーガー」という名前がつけられたんです。当のクルーガー本人は保守的な農業社会を率いた人物でしたが、100年以上続いたこの決断が、今ではアフリカ最高の野生動物保護地をつくったわけです。

サビ川がつくった野生動物密度ナンバーワンの区域

いま通っているこのサビ川は、乾季にも水が涸れないため、野生動物が絶えず集まってくる区域として知られています。キャンプのレストランのテラスに座っているだけで、川辺に集まるゾウやカバ、バッファローを観察できるほど密度が高いと言われています。

9

フルフルウェ

世界のサイのほとんどがここの血筋

いま世界にいるミナミシロサイのほとんどが、この保護区出身の血筋なんです。20世紀初めには密猟で世界にわずか数十頭しか残っておらず、絶滅寸前でした。ここで始まった「オペレーション・ライノ」というプロジェクトが、保護と繁殖、そしてほかの保護区への移送を通じて、個体数を劇的に回復させました。絶滅寸前だった動物の一種が、事実上この一つの保護区から再び息を吹き返したわけです。

1895年、狩猟の最盛期につくられた保護区

フルフルウェ・イムフォロージは1895年に指定された、アフリカで最も古い公式の動物保護区(ゲームリザーブ)です。当時は植民地全域で無秩序な狩猟が盛んだった時期でしたが、異例なほど早く保護区に指定されたおかげで、130年近くビッグ5の生息地を守り続けることができました。

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セント・ルシア

「驚き」という名前、そして採掘を食い止めた人々

この湿地の名前は、ズールー語で「驚き」という意味の「イシマンガリソ」です。ところが1990年代、このあたりでは砂丘に沿ってチタンの採掘事業が進められていました。環境活動家と地域住民が強く反対した結果、採掘計画は撤回され、代わりに保護区に指定されました。そして2000年、南アフリカで初めてユネスコ世界遺産に登録されたんです。もし採掘がそのまま進んでいたら、いま私たちが見ているこの湿地は存在していなかったでしょう。

一つの河口にカバ800頭、ワニ1,200頭

この河口には、カバがおよそ800頭、ナイルワニがおよそ1,200頭も生息していると言われています。湖・湿地・サンゴ礁・砂丘が一つの空間に共存する独特な生態系のおかげで、比較的狭い区域に異例なほど高い密度で大型動物が集まって暮らしているんです。

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ダーバン

一隻の船から始まった移住 — SSトゥルーロ号

ダーバンでインド料理がこれほど発達した理由は、まさにこの港から始まります。1834年にイギリスが奴隷制を廃止すると、サトウキビ農園の経営者たちは労働力の不足に直面しました。その解決策として1860年11月、インド人労働者342人を乗せた「SSトゥルーロ」号が、まさにこの港に初めて到着したんです。彼らはふつう5年契約で縛られた年季契約労働者でしたが、賃金はとても低く、雇い主を変える権利もほとんどなかったため、本質的には奴隷制と大きく変わらないと批判されました。1911年までにおよそ15万人がこうした形でインドから渡ってきましたが、契約が終わった後も多くの人が故郷へ帰らずダーバンに定住しました。その結果、今のダーバンは南部アフリカで最大のインド系コミュニティを持つ都市になり、パンの中身をくり抜いてカレーを詰めた「バニー・チャウ」というこの街ならではの食文化も、ここから生まれたんです。

多人種の街が消えた、もう一つのディストリクト・シックス

いま通っているカトー・マナーは、かつてインド系と黒人の住民が一緒に暮らしていた、ダーバンの活気ある多人種の街でした。ところが1958年から、アパルトヘイト政府が集団地域法を根拠にこの地域を白人専用地区に指定し、何万人もの住民を郊外へ強制移住させたんです。ケープタウンのディストリクト・シックスとほとんど同じパターンで、同じ時期、南アフリカ全土で多人種のコミュニティがこうして標的にされていたんです。

海辺の遊歩道の名前に込められた黄金の野望

この遊歩道の名前は「ゴールデン・マイル」ですが、実際の長さは1マイルをゆうに超えています。20世紀半ば、街がビーチリゾート産業を育てる中で、黄金色の海辺というイメージを強調するために、わざとこうしたマーケティング的な名前をつけたと言われています。今ではサーフィンや海辺の散歩で、南アフリカの人々に最も愛されるリゾート地の一つになりました。ここが私たちのルート3の旅の終着点です——1,200キロを一緒に走ってきましたね。

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uShakaマリンワールド

ショーが消えた場所

ここはかつて、イルカやシャチのショーで有名だった場所です。でも動物福祉団体や市民が、狭い水槽に閉じ込められたイルカやシャチの暮らしについて問題を提起し続け、その結果、2024年についにショーが正式に終了しました。かつていちばん人気だったコンテンツが消えたこの場所は、動物を見る社会のまなざしがどう変わってきたかを示す痕跡なんです。

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カテドラル・ピーク

槍の壁が竜の山になる

いま目の前に広がるこの山脈のズールー語の名前は「ウカランバ」、「槍の壁」という意味です。険しく並ぶ峰々が、槍のように列をなして立っていることからついた名前です。ところが17世紀のオランダ人入植者たちは、同じ稜線を見てまったく違う印象を受けました。でこぼこした山並みが竜の背骨のように見えるとして、「ドラケンスバーグ」、竜の山と名づけたんです。同じ山を前に、二つの文化がまったく違う動物を思い浮かべたわけです。

洞窟の壁に刻まれた、言葉より古い記録

ドラケンスバーグのあちこちの洞窟には、サン族、ブッシュマンが何千年にもわたって描いた岩絵が残っています。アンテロープや人、狩りの場面が描かれていますが、単なる記録を超えて、シャーマンの霊的な体験を表したものと解釈されることが多いです。この山がユネスコ世界遺産に登録されたとき、自然遺産だけでなく、この文化遺産もあわせて認められました。

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ロイヤル・ナタール国立公園

エンジェルフォールに次ぐ高さ、でも乾季には消える滝

いま見えるこのトゥゲラ滝は、落差が約947メートルで、ベネズエラのエンジェルフォールに次いで世界で2番目に高い滝として知られています。でもこの滝は、雨季と乾季で姿がまったく違います。11月から3月の雨季には断崖全体をつたって流れ落ちる巨大な水の流れが見られますが、乾季には水量が大きく減って、細い筋のような流れしか残りません。同じ場所でも、季節が違えばまったく別の滝を見ることになるわけです。

王室の一度の訪問が公園の名前に

この公園は1916年に初めて保護区に指定されましたが、「ロイヤル」という名前がついたのはずっと後の1947年でした。その年、イギリス王室のジョージ6世とその家族が南アフリカを訪問した際にここに立ち寄ったのを記念して、名前が変わったんです。王室の短い一度の訪問が、その後80年近く続く公園のアイデンティティになったわけです。

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ジョバーグへ戻る日の運転の注意

今日は430キロを一気に走ります実用情報

今日がこの旅の最終日です。ここからジョバーグの空港まではおよそ430キロ、ハリスミスを経由して5〜6時間ほど運転しなければなりません。ほかの区間はゆとりを持って分けて移動しましたが、この12日間の凝縮日程では帰りの区間を1日にまとめたので、今日だけは朝7時前に出発することをおすすめします。遅く出発すると夜遅くにジョバーグに着くことになり、レンタカーの返却や飛行機の時間がぎりぎりになりかねません。今日は観光よりも安全に帰ることに集中する一日だと考えてください。

この道を、実際に走ってみませんか

日程と人数をお知らせいただければ、このルートに合わせた4×4キャンピングカーと旅の準備をご案内します。